恍惚境裡にただ独り

浪漫を糧に生きています

緩やかに死にゆく飛行機

自然から授かった命に限りがあることは誰でも知っているが、科学から授かった命も技術者に見捨てられた時点で終わるという意味で有限であるとしたら、ますますその境目は曖昧である。

 

私は、部品の枯渇で緩やかに死んでいく航空機を知っている。

もう彼の仲間は数機しか残っておらず、ごく限られた空を、ごく限られた乗客を載せて飛ぶ。飛ぶ度に寿命が縮むのは明らかだが、もうそれをどうにかする術はない。もしも致命的な故障が見つかったら、彼は静かに空から姿を消すだろう。

 

それを悲しく思うのは、まずは操縦士だ。翼をもがれることに等しい哀しさだ。

そして、整備士。若き日の整備士にとっては教師であり、今日の整備士にとっては手のかかる爺さんだった。

次に、毎日空を見上げていた飛行機好きの少年が気がつくだろうか、ひっそりと姿が見えなくなった古い機体を。

 

 

随分前になるが、AIBOのサポート終了云々の記事見ていろいろ考えてたら寂しくなってしまった時に書いたものを引っ張り出してきた。

勤めを終えた航空機がスクラップになるところを何度か見てるが、これはね、けっこう辛い。

スクラップが物理的な死なら、サポート終了は精神的な死だ。技術の進歩は目覚ましい。機械の命は、人より儚かなくなっているのかもしれない。